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貴乃花親方 7年前の貴闘力解雇処分を盾に徹底抗戦の構え
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相撲協会は真っ二つに分断された。「日馬富士暴行事件」に端を発した対立で、八角理事長(元横綱・北勝海)と貴乃花親方の関係は修復不能となり、もはやどちらかが相手陣営を「崩壊」させる決着以外、あり得なくなった。
機先を制したものの逆に強烈な張り手で一気に劣勢に追い込まれたかに見える貴乃花親方は堅く口を閉ざしたままで、八角理事長からの事件についての調査協力要請に対しても拒否を貫いた。
この間、貴乃花親方の数少ない肉声を耳にしていた親交のある後援者の一人は、その心中をこう代弁してみせた。
「最初から矛を収める気はありませんよ。親方は騒動が表沙汰になった後に、『貴ノ岩のケガ自体は大したことはないが、(暴行は)間違いなく重大な問題。被害届を出したのは警察に調べてもらうためで、本場所が終わってから公表する予定だった』と説明していた。“先に協会に報告したら揉み消される”と考えていたのだと思う。
それからというもの『警察の捜査が進んでいるから』と口を噤んでいるのは、弁護士のアドバイスに従ってのこと。貴ノ岩への暴行については民事訴訟などの法的手段を取ることも考えている。現役時代の貴乃花親方の相撲に心酔して入門した貴ノ岩は、引退覚悟で親方についていくつもりだ」
そして、貴乃花親方が反撃に打って出るのは、「日馬富士の処分内容が決まったタイミングになる」と語るのは、別の後援者だ。
「日馬富士に引退勧告せず、2~3場所の出場停止処分で済まそうとする可能性は十分にある。そうなれば、貴乃花親方と(日馬富士の師匠の)伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)との恩讐(*)に加え、“あの仕打ち”まで絡んでくることになるから、さらに因縁深い話になってくる」
【*昨年2月の理事選では協力関係にあった両親方だが、同3月の理事長選を境に伊勢ヶ濱親方が執行部サイドに接近し、関係が悪化したと見られている】
ここでいう“あの仕打ち”とは、2010年5月に数十名の力士や親方の関与が発覚した野球賭博事件に際しての処分を指す。この時は貴乃花親方と盟友関係にあった大嶽親方(当時、元関脇・貴闘力)が、事件に関与したとして協会から解雇処分を受けた。
「9人の力士が起訴されるなか、貴闘力は物証が乏しいとして不起訴(嫌疑不十分)になりましたが、賭け金が大きかったという理由で協会からは真っ先に解雇された。この時、貴乃花親方は臨時理事会で辞職願まで出して処分に抗議したが、受理されなかった経緯がある。貴乃花親方が一門を割って出馬した『貴の乱』(2010年2月)の直後だったこともあって、“貴グループ潰し”の報復と受け止めていた。
自分に近い者ばかり厳正に処分され、自分の弟子に暴行した横綱は引退処分にもならないのでは親方も納得いくはずがない。7年前の大嶽親方処分との矛盾を挙げて、協会を厳しく追及し、徹底抗戦する覚悟でいる」
「加えて、現在の貴乃花のブレーンとみられているのが北の湖・前理事長(故人)の時代に顧問として相撲協会の事務を取り仕切ってきた人物だ。この元顧問は、八角体制になってから協会を追い出され、不当解雇だとして協会と裁判で争っている最中だ。現在の執行部と対立する元顧問からすれば、復権するには貴乃花理事長体制を誕生させるしかなく、これが最後のチャンスとみているはずだ。もともと、協会の会計なども管理していた人物だから、どんな“金銭スキャンダル爆弾”が飛び出してもおかしくない」
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昼飯食べて(;^_^Aふと!ジャクソンブラウン思いだした(;’∀’)
昼飯食べて(;^_^Aふと!ジャクソンブラウン思いだした(;'∀')
🏄行く車の中でよく聞いた♪
ロードアウト
テイクイットイージー
ロージー
孤独なランナー
懐かしい😢
これと言って困っているわけではない。不満を言えば幾らでもあるが、人並みではないかと思いながら、日々を重ねる。それでも、理由もなく淋しくなったり、悲しくなったりすることがある。家族や友人たちに囲まれていても、こころの何処かに孤独や不安を抱えていて、それが頭をもたげてくる瞬間というのがある。ジャクソン・ブラウンは、そういう瞬間や感情を、誰にも真似できない言葉と、憂いを帯びた歌声で見事に描く。
1972年にデビュー、今年45周年だ。その昔、最も重要な若き吟遊詩人とも、成熟した若きシンガー・ソングライターとも呼ばれた彼も、69才になった。てんびん座、誕生日は、ジョン・レノンと同じだ。正義感という点でもジョンに負けはしない。世の中に対して、時代に対して、真摯に向きあい、その結果として、反戦運動や環境問題を含めたいろんな市民活動にも積極的にかかわってきた。
そのジャクソン・ブラウンの来日公演が数日後に控えている。今回は、ライヴ・アルバム『ザ・ロード・イースト』を携えてのライヴだ。副題に“ライヴ・イン・ジャパン”とあるように、『ザ・ロード・イースト』は、2015年の、つまり前回の日本公演を収録し、日本への、殊に核廃絶を訴える彼の広島への思い、祈りにも似た思いがいっぱい詰まったアルバムになっている。
「バリケーズ・オブ・ヘヴン」や「青春の日々」のように、人生について何かを学ぼうと悩む若い頃の彼の息遣いが聞こえる歌や、「ザ・クロウ・オン・ザ・クレイドル」や「ライヴズ・イン・ザ・バランス」のように、社会への激しい願いを託した歌の数々が、ドリーム・バンドと彼が呼ぶ仲間たちの演奏でよみがえる。
「『孤独なランナー』のときに一緒だったバンドも、大好きだった。ダニー・コーチマー、ラス・カンケル、リー・スクラー、クレイグ・ダーギ、ぼくのヒーローたちだったからね。ツアーをしながら、レコーディングする自信をくれたのは彼らだ。今回のバンドは、何年も一緒にプレイしてきた人たちでできている。そのせいか、一度たりとも同じ演奏にはならない。それほど、息が合っているんだ。
ヴァル(・マッカラム)とグレッグ(・リーズ)の二人のギタリストも、組み合わせが最高で、一人が高音域に行けば、もう一人が低音域に、というように、お互いを補いながら、常に向き合い、刺激しあっている。みんながこうやってまた日本に帰ってこれたのは幸運だよ。みんな忙しいからね。殊にグレッグは超多忙だし、しかも、彼の創意をそそるのはお金ではないんだ。
現在のバンドは、グレッグがいなかったら、みんなここにいなかったと言えるかもしれないね。少なくとも、ぼくはそうだよ(笑)。みんな、グレッグとやりたいんだ(笑)。それに、ぼくらが演奏している曲は、デヴィッド(・リンドレー)と同じくらい上手いスライド・ギタリストが必要だからね」
グレッグ・リーズは、ジャクソンはもちろんだが、ジョニ・ミッチェルからエリック・クラプトンまで、数えきれないほどのアーティストたちから声がかかる超売れっ子のスティール・ギタリストだ。しかも、ジャクソンとは同じ高校の後輩にあたる。
「ただ、当時は知らなかったんだ。知っていたら、一緒にバンドをやっていたよ。最初、デヴィッドがどうやってるのか、グレッグがわからなくて時間がかかる曲もあった。少し変わったチューニングをやっているところがあるからね。それがわかってからは、もう素晴らしいとしか言いようがない。最初だけは、デヴィッドに敬意を捧げる意味で、彼と全く同じフレーズを弾くんだ。その後は、グレッグならではの個性を注いでいく」
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昼飯作ってたら(;^_^A新庄思いだした(‘◇’)ゞ
亀新フィーバー(かめしんフィーバー)とは1992年にそれまで5年間で最下位4度と低迷していた阪神タイガースが、亀山努と新庄剛志の「亀新コンビ」などの活躍により、阪神ファンを熱狂させたことである。暗黒時代(-_-;)
新庄剛志は現在はアパレルブランドのモデルを務めたり、地方競馬の馬主などを行っているそうです。新庄剛志は現役時代に稼いだお金が相当な金額になると思うので、新庄剛志は現在は現役時代に稼いだテレビ出演・CM出演・プロ野球生活での年俸を切り崩して生活していると思われます。現在はモトクロスのプロレーサーを本格的に目指しているようですので、モトクロスの世界でも活躍していただきたいですね!
新庄剛志氏「阪神を優勝させるのは簡単」コーチの依頼ゼロに首傾げる
元プロ野球選手の新庄剛志氏(45)が16日、MBSの特番「強い虎を追っかけタイガース」に出演。1992年に“亀新フィーバー”を巻き起こした元阪神の亀山つとむ氏(48)がバリ島を訪れ、同島で暮らす新庄氏と当時のエピソードを明かした。新庄氏は「阪神を優勝させるのは簡単。メンタルだけ」などと古巣にエールを送った。
新庄氏お気に入りの絶景レストランで乾杯し、久しぶりのコンビ“再結成”となった2人。亀山氏の「なんでバリ島なの?」という疑問に、新庄氏は「日本ではコンビニに行くのにも髪の毛を整え、着替えないといけない。変な、写真撮られたら嫌じゃないですか」とスターならではの悩みを打ち明ける。現役引退後にCM撮影で訪れたバリ島では、短パン姿でビーチに出ても声もかけられず、「ここ、いいかも。誰にも気付かれない」と感激。「今日からバリ住みま~す」とあっさり移住を決めた。
1989年のドラフト会議で阪神から5位指名を受けて入団。「野球に興味なかったんでどこのファンでもないですねえ」などと答えた入団会見から破天荒だった。実のところ阪神入団は「最初はめっちゃ嫌でした。(生まれ育った)福岡、巨人戦しか放送していなかったから」と笑わせた。さらには「ランナーがいない時に集中すると、チャンスで集中できない」などと特異な野球哲学を展開した。
新庄氏は今季優勝争いをする阪神にも言及。「優勝させるの、簡単なのにね。メンタルだけ」と言い切る。理由は阪神ファンの存在だという。「僕は世界一のファンだと思います、阪神ファンは。良い時も悪い時もストレートに返ってくる。阪神に育ててもらったことに感謝しています」と“猛虎愛”を見せた。
現役時代、ゴールデングラブ賞10回と輝かしい実績を誇る新庄氏。それにも関わらず監督、コーチのオファーが「一度も来ない」ことが不思議でならないという。この疑問に対して、元相棒の亀山氏は「ひとつの組織の中で管理できないから」と即答していた。
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暇なので、タバコ買いに行くとき(;^_^A井川慶思い出した!
井川慶が語る進退とこれまでの野球人生
「NPBから声が掛からなければ…」
全盛期の、井川顔面スクイズ決めたこと思い出します。
ノーヒットノーランもあったなぁ(;^_^A
バッティングの良かったピッチャーのムーア
それにあやかろうとピッチャーが打席に立つときはムーアメットを被っていたそうです。
阪神時代のムーアの打撃成績は48試合 105-31で.295 11打点。
恐ろしいです。
2003、05年と阪神の優勝にエースとして貢献し、MLBの名門ヤンキースのユニホームも着た井川慶は今季、独立リーグ「ベースボール・ファースト・リーグ」の兵庫ブルーサンダーズでプレーした。今年の夏に話を聞いた際には「自分が納得できるシーズンが送れたら、今季を最後にする」と語っていた。シーズンを終えた今、井川は自らの進退にどのような決断を下したのか。それを確かめるべく、再び彼のもとを訪ねた。
自身の進退について
──今年の夏に別の取材で話をうかがった際には、「ケガなくシーズンを過ごせて、自分が納得できるボールが投げられたら引退も考えている」と話してくれました。ズバリお聞きしますが、自身の進退についてはどう考えていますか?
一部の報道にも出たとおりで、NPBのチームで投げるチャンスがあれば全力でやります。でもそれがなければ、ひと区切りというか、休養しようかなと思っています。
──引退ではなく、休養?
そうですね。
──引退という言葉で、けじめをつける考えはない?
最初から、そういう考えはありませんでした。若いころに伊藤喜剛(よしたか)さんという、同じ茨城県出身の陸上選手とトレーニングをさせていただいたことがあったんです。伊藤さんは100メートル走で世界選手権にも出られた方で、その人が現役を上がられるときに「引退じゃなく、休養する」と言ったんです。それを聞いて、「なるほど、こういうやり方もあるんだ」と思いましたね。伊藤さんは当時、「僕は引退と言っていないですから。復帰するかもしれないですよ」とも話していました。
──引退すると言わない限り、現役であり続ける?
そうそう(笑)。
──ドラフト、トライアウトも終わってNPB球団の来季への編成はひと区切りがつきました。その一方で、来季の支配下選手登録は7月末まで可能です。そこまで待つ考えは、あるのですか?
待つというか、そんな感じではないですね。自分にチャンスがあるとすれば、例えばキャンプでケガ人が出て、ピッチャーの枠が空いてしまったとか。そういう場合でしかないと思っています。この時期が過ぎたら一切野球をしないとかではなく、そういうスタンスでいます。
──現時点でNPBへの復帰が難しい状況であるとは、自覚している?
もちろん。ハナからないとは思っています。プロ野球の流れも知っていますしね。でもヤンキースでチームメイトだったロジャー・クレメンス投手は、シーズン途中で復帰して試合でバリバリに投げていました。「こういうこともあるんだ」と思っていたことを、覚えていますね。
求めた「納得のいくボール」
夏の時点では、「自分が納得のいくボールを投げるために、ここでプレーしている」と言っていました。そのボールは、投げられましたか。
だいたい、ですけどね。もともとプロでやっていたので、こうしたらもっといいボールが投げられるんじゃないかとか、やっているうちにいろいろと出てくるんですよ。時間との兼ね合いもあったりするなかで、ある一定の満足は得られたかなと思います。
──大満足ではない。
それはなかなかね。野球をしていて大満足することは、いつのシーズンでも難しいです。
──この環境、今の年齢と体の状態で投げたボールとしては納得できる?
客観的に見て、全体的には満足していますね。
──今季追い求めた「納得のいくボール」を言葉にすると?
自分のなかに昔からイメージがあって、腕をこのくらい振ったら、このくらいのボールが行くという感覚があるんですよ。阪神時代や、プロで投げていたころのイメージですね。あのころと同じではないですけど、今季はそれに近づけたかなと。オリックスにいた最後のほうはキャッチボールをしていても、自分で腕を振っているつもりなのに、思ったボールが行かなかった。ボールの勢いと自分のイメージの違いが、大きすぎたんです。それが去年の後半になってキャッチボールから、段々とイメージに近づいてきた。オリックスは15年で退団することになりましたが、もう一度、自分が思うボールを投げたいと思って、今季はブルーサンダーズでプレーさせてもらうことにしたんです。
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国会中継みてたら(;^_^A何故か達川思い出した💦
デッドボール詐欺 達川光男 プロ野球の歴史
名演技思い出す(-_-;)
達川光男―
1973年―
春の選抜甲子園にて、「怪物」江川卓擁する作新学院をささやき戦術を駆使して準々決勝にて破る。
プロ入り後もレギュラー級としては少し物足りぬ打撃ではあったが、
それを補って余りあるリード能力と明るさを買われスタメン捕手として広島東洋カープで台等。
そうして出場機会の増加に伴い懸念だった打撃も開眼。
危険球が左腕をかすめたのに右腕を主審に掲げて死球を得るというマラドーナな領域にまで成長。
こういったクレバーさは打撃、リードだけには留まらず契約交渉にも及んだ。
――ワシが広島で最初の2000万円捕手になるんじゃ――
自信を深めた達川さんは、
そう意気込んでシーズンオフの契約交渉に臨んだ。
――達川、来期のお前の年俸は1980万円!2000万にすると税金の区切りが悪くてお前の手取りが減るんだ。これはあくまでも税金対策だからな。――
広島球団は今も昔も契約更改において手強い。日本球界最強ではないだろうか。
2000万円を要求する達川さんに対し土俵際で踏みとどまった。
――この20万を足すけん、ワシの年俸ば2000万にしてくれんかの?文句はないじゃろ。――
達川さんは予め用意していた20万円をゆらりと財布から取り出しながら言い放った。
難攻不落の広島球団も達川光男のあまりに実戦的な作戦の前に崩れ落ちたのだった。
こうして、
広島カープ初の2000万円捕手・達川光男が誕生したのだ。
その躍進の原動力となったのは、リードもさることながら、
先日のコラムでも軽くなでた卓越した偽装死球技術。
―騙しの達っちゃん―
―グラウンドの詐欺師―
さほど時を必要とせず達川さんは畏敬の念を込めてそう呼ばれるようになっていた。
ハーフスイングを主審の死角を利用してごまかす―
人呼んで忍者打法を3年の歳月をかけて完成させ猛威をふるっていた―
東のグラウンドの詐欺師・球界の詐欺師こと大洋ホエールズ(現在の横浜ベイスターズだよ)・市川和正捕手とは、
同年代・同一リーグ・同一ポジションであり、
意識しあってお互いを高みに導こうと切磋琢磨した強敵(とも)であったのだ。
ここで、
達川光男選手が用いた偽装死球技術・創死球技術、
いわいるデッドボール詐欺の手口を紹介しておこう。
1 内角にそれなりに危なそうな球が通過―
2 とりあえず静かに一塁へ走り出す―
3 当然のごとく主審に止められる―
4 振り向きざま鬼の形相で死球をアピールする―
この技術は発案実行当初においてものの見事に成功した。
達川、死球を量産―
しかし、審判団の研究は凄まじいスピードで進み―
ついには達川さんの演技を誰も相手にしなくなったのだった。
だが、達川さんは研究合戦で更に上回った―
1 内角にそれなりに危なそうな球が通過―
ここまでは、初期に見られたデッドボール詐欺と同様であったのだが―
ここで、おもいっきり痛がる素振りをいれたのだ。
これがまた狡猾なことに猛烈に痛がる素振りをすると同時に、
ボールが着弾したことにする仮患部を赤くなるまで搔き毟ったのだ。
それが自然な流れの中で刹那のうちに行われ―
赤くなった仮患部を主審に、
――これみてみんかい、どうじゃ?あたっとるのう――
と見せつけて死球を得る。
新型のデッドボール詐欺はまたも猛威をふるったのだ。
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